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ブログ

創業のキッカケ・動機(3/3)

想いを固めた父の闘病…

ご覧いただきありがとうございます。

今回の投稿記事は、「創業のキッカケ・動機(全3回)」の3回目となります。
※大きく3つの段階がありますので、ブログの投稿も3回に分けています

<前々回の投稿>
「創業のキッカケ・動機」1回目 始まりは祖父の他界…

<前回の投稿>
「創業のキッカケ・動機」2回目 キッカケは祖母の他界…

今回(3回目)は、約3年前に他界した父の闘病中のことを少し書いていこうと思います。

祖父母のことに比べると、パソコンのキーボードを叩く手が少し重いのですが…

おとさん

 

父の闘病を見守る

父はスポーツが大好き(得意)で、家族想いなところもあり、親族や友人などとの繋がりを大事にする、真面目で・何事にも粘り強く頑張る人でした。

とはいえ、無口で強情なところや、ちょっと偉そうなところ(親だから当たり前ですが)もあったりして、時々文句の言い合いになったり、イライラ・ムカムカすることもありました(笑)。

そんな父ですが、ある時から闘病生活を強いられるようになりました。

闘病と言えど途中までは、退職後の再雇用の仕事やゴルフ・農作業に励み、お仲間と飲みに行ったりもしており、私からは悠々自適な日々を過ごしている様にさえ見えていました。

それでも、手術や薬などの治療が続き、安静にしなければならない日が増えていき、私としても様々な思考をめぐらさぜるを得ませんでした…。

この父の闘病生活は、病気の発覚から他界する日まで約10年ほど続いたのですが、これとほぼ同じ期間、私も『本をつくる仕事』の実現方法やその意味・使命について考え続けていました。

 

いずれ来るその日の前に

「おばあちゃんの『本』を作ろう!」と始まった私の『本をつくる仕事』への想いは、いつしか「お父さんの『本』こそ早く作らなきゃ!」という焦りが加わり、さらには『本をつくる仕事』を実現できれば自分も人の役に立てるぞ…という大義名分まで積み上がり、気付けば自分のキャパシティーでは到底届かない様な、高いハードルになっていました。

父が元気なうちに、「父の半生を聞いておこう・普段言葉にしない想いを聞いてみたい」と思っていましたが、縁起でもないことに備えている様な気がして、口に出すことが出来ませんでした。

「自分の実力ではまだ納得する本が作れない…」と考え、「まずは調査と勉強だ!」と動き回って知ったのが、『自分史』という言葉や『自分史をつくるサービス』が少なからずある…ということでした。

こうして、私は『自分史活用アドバイザー』の資格を取ってみたり、『自分史』に関する書籍を購入しては片っ端から読みました。

しかし、『自分史』に関する書籍を読んだことがある方にはご理解いただけると思いますが、自分の力で『自分史』をつくることは決して簡単とは思えませんでした。

ならば専門のサービスを利用しようと思い、良さそうな『自分史をつくるサービス(事業者)』を見つけては資料請求などをしましたが、「何十万円〜」と高額かつ曖昧に感じる表示ばかりに目が行きました。

勇気を出して見積もりをお願いすると、その料金は私の月収を超える金額(当時は安くても30万円〜100万円程度が主流)でした!

父の病気も進行しており少し焦っていた私は、父に直接、「自分史をつくるサービスがあって、料金は数十万円なんだけど、作ってみたい?」と聞いてみたのですが、父は「高い!そんなもんはいらない!」と即答されました。

私はそれ以上は何も聞きませんでした。

それほどに“即答”だったからです(笑)

同時にそれは、「やはり自分で本を作れる様になりたい!」「ならなければ!」と決意する瞬間でもありました。

この時は、準備も実力も伴わない自分の夢(本をつくる仕事)について、まだ父に話すことが出来ませんでした。

 

父が天国へと旅立つ…

祖母や父の本を作るべく、関連する書籍はさらにたくさん読みました。

本を作る勉強や研究にも励みました。

その度に、何日・何ヶ月も解決出来ない様な壁にぶち当たったものです…。

「自分には無理だ!」
そう投げ出したことも1回や2回ではありません。

家族の本をつくることと同時に「事業にしたい!」という欲張った考えがマズかったのかもしれませんね…。

 

それでも、日々、闘病を続ける父の背中を見ていた私は、そこで諦めて終わりにすることが出来ません。

作り上げたい父や祖母の本を想像し、パソコンで文章や写真を編集し、『本』のカタチに落とし込んでいく日々…。

同時に事業計画もまとめます…。

進みは遅くとも、毎日30分でも本を作るために手を動かそう…と努力だけは続けました。

そしてある時、市の広報で”行政が主催する事業コンテスト”があることを知り、「これは最初で最後のチャンスかもしれない!?」と応募を決意します。

その結果、私の『本をつくる事業計画』は優秀な事業計画として認定されました(自分で優秀と書いちゃうのもなんですが…笑)。

 

認定の通知が届くと、私は両親に「家族の本をつくりたいこと」「本をつくる仕事をしたいこと」を伝えました。

事業コンテストの時よりも緊張し、どんな風に想いを伝えたのかは覚えていませんが、母は「あなたはいつも突拍子ないことを…」とただただ驚き、父は「良い考え・良いサービスだなぁ…」と笑って理解を示してくれたのでした。

 

その日から、3ヶ月も経たずして、父は天国へと旅立ちました…。

 

私が退職の手続きや創業の準備をしつつ、いよいよ”祖母と父の本の制作”に本格的に取り掛かり始めた矢先のことでした。

結局、私は父の存命中に、『本』を完成させることが出来ませんでした。

 

家族の本の完成!

父が他界し数カ月後、『祖父の本』『祖母の本』『父の本』が完成しました。

はじめは、写真と思い出のエピソードをたくさん詰めこんだ、書籍(ブック)タイプを作りました。

その後、もっと手軽に作れて・もっと気軽に読める本も良いよな…と、冊子(マガジン)タイプも作り上げました。

ここに至るまで、随分と年月を費やしてしまいました…。

もっと早く完成させて、父に見せたかったのですが…。

とは言えこうして、この”書籍と冊子の2つのタイプ”の『本』を制作する知識・技術を培ったことで、ようやく、創業のスタート台に立つことが出来たのです。

 

まとめ…

長くなりましたが、これが、私が創業するまでの経緯です。

元を辿れば、始まりは祖父の他界でした…

その後、祖母の他界で「おばあちゃんの本をつくりたい!」と思い始め…

父の闘病を見守っているなかで“動悸や想い”が固まり、これらを原動力にして、今日に至っています。

 

ということで、今回まで、キッカケや動機・キャッチコピー・事業者名など、事業の『想い』に関することを一通り書きおろしてきました。

いやー、『想い』を書く(伝える)というのは、なかなか難しいものですね!

事業への『想い』はこの辺で一区切りして、次回からは『サービス内容』を中心に、『終活』や『自分史』に関する役に立ちそうな内容を、時間を見つけて書いていけたらな…と思っています。

 

《完結》
「創業のキッカケ・動機(全3回)」


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